「ゴールデンナゲット」はそこそこの業績をあげていたが、数年前から社員による不正が多発していました。
副社長に就任したウィンは社長のバック・ブレインのオフィスを訪れ、不正行為を綿密に記録したデータを突きつけました。
「穏やかに処理することもできるし、荒っぽくすることもできる。ブレイン社長、どうお考えですか?」。
その結果、ブレインは失脚。
ウィンは役員を含む合計160人以上の社員を解雇すると、同ホテルの徹底的な健全化を開始したそうです。
ウィンはその売却利益で「ゴールデンナゲット」の株買収を開始し、ラスベガス・ゲーミングへの本格的な進出を図っていきました。
「ゴールデンナゲット」と言えば、彼の一家をラスベガスから追い出すきっかけとなったカジノです。
ウィンの脳裏にも、亡き父の思いを晴らしたいとの気持ちがあったのかもしれません。
当時の「ゴールデンナゲット」はよい場所にありながら、宿泊施設を持っていなかったそうです。
彼は株を買収し続け、2年後の1973年には同ホテル全体の10%を占めるようになったといいます。
こうして発言力を増したウィンは、「ゴールデンナゲット」の副社長に就任しました。
ウィンに酒の卸し業を勧めたのは、バレーバンク(現在のバンク・オブ・アメリカ)のパリー・トーマス会長でした。
彼は、当時のラスベガスでもっとも力を持つ人物と言われており、バレーバンクはラスベガスの5分のーを手にした男と呼ばれた大富豪ハワード・ヒューズの取引銀行でもあったそうです。
パリー・トーマスとの縁で酒の卸し業をはじめることができたウィンは約4年間、全力を打ち込み、そこそこの業績をあげていきました。
そして1971年、大きな転機が訪れます。
「シーザースパレス」の北隣にある約9万8000坪の土地を、ハワード・ヒューズから110万ドルで購入しました。
それまでもこの土地をめぐって、多くの買い手がヒューズに何度も交渉しましたが、誰も成功せずヒューズは絶対に手放さないだろうと思われていたそうです。
ところがスティーブ・ウィンは、みごとハワード・ヒューズをその気にさせ、注目の土地を掌中にしました。
バリー・トーマスからの助言があったことは言うまでもないが、マスコミもこの成功を大きく取りあげ、ヒューズがラスベガスの土地すべてを売却するのではないかといった噂までたちました。
翌年、ウィンがカジノをオープンすることを恐れた「シーザースパレス」は、220万ドルでその土地を購入しました。
ラスベガスに戻ったウィンは、まずカジノホテル「フロンティア」に、なけなしの4万5000ドルを投資をしましたが、数カ月後「フロンティア」とマフィアの関係が発覚し、強制廃業となってしまいます。
彼は瞬時にしてすべてを失ってしまいました。
再起をかけた挑戦の出鼻をくじかれたウィンは、しかし、ラスベガスに踏みとどまったそうです。
そして幸運にも「フロンティア」時代に築いた人脈が縁となって、酒の卸し業が過小評価されていることを耳にします。
ウィンの父はダウンタウン地区のカジノ「シルバースリッパー」で、ビンゴパーラーを開きました。
だが、「ゴールデンナゲット」がすぐ隣にオープンすると、彼のビンゴパーラーには客が集まらなくなり経営が破綻。
家族は夜逃げ同然でメリーランド州へ逃げ帰っていきました。
一家はそこでもまたビンゴパーラーを経営して生計を立てましたが、ウィンが大学在学中に父のマイケルが他界したため、大学に通いながらビンゴパーラーを継いで運営しました。
経営はまずまずで、堅実に業績を伸ばしましたが、ちっぽけなビンゴパーラーのオーナーで終わりたくなかったスティーブ・ウィンは、父親が失敗したラスベガスに戻り、自分の夢をかけた挑戦を開始します。